セオ・パリッシュも愛したエディットワークスの首謀者、リカルド・マシップとは何者か?――リカルド・マシップ・インタヴュー(前編) | Tokyo Sabroso
2000年代中盤以降に国際的なネットワークが形成されたトロピカル・ミュージックの世界において、リカルド・マシップは絶大な存在感を発揮してきた。ときにはストックホルムの名物パーティー「Raw Fusion」のサブフロアから始まった「Tropical Treats」の首謀者として。ときには数々の奇跡的な瞬間を演出する素晴らしいDJとして。ときには抜群の嗅覚と執念を持つハードコアなディガーとして。ときには数枚の傑作を世に送り出したコンパイラーとして。ときにはセオ・パリッシュをはじめとする世界中のDJたちに重宝されたエディットワークスのプロデューサーとして。だが、リカルドはあくまでも裏方のひとりとして、知る人ぞ知る存在であり続けてきたとも言える。今年6月にTOKYO SABROSOが招聘したDJベトと同様、トロピカル・ミュージック・ムーヴメントの盛り上がりを裏方として支えてきた、影の立役者。だからこそ、これまでリカルドのバックボーンやこれまでの歩みについてはほとんど知られてこなかった。今回、TOKYO SABROSOはそんなリカルドの日本初インタヴューに成功。Soundwayの傑作コンピ『Kenya Special』など数多くの作品に関わってきたリカルド・マシップとは何者か、じっくり解き明かしていきたい。Interview by 大石始 & 森本英人 ーー生まれはストックホルムですか?リカルド・マシップ:ストックホルムの郊外、北の外れにある静かな町で育ったよ。ーーいちばん最初にハマった音楽は?リカルド・マシップ:1984年くらいかな。年上のいとこたちがヒップホップやエレクトロ・ミュージックの存在を教えてくれたんだ。それが最初にハマった音楽だよ。15歳のとき、地元の中古レコード・ショップでバイトをするようになって、それ以来、未知の音楽に出会うことに夢中になった。同世代の多くのDJと同じように、レア・グルーヴやヒップホップでサンプリングされたソウル、ファンク、ジャズの曲を探すようになったんだ。ーーじゃあ、現在に繋がるアフリカやラテン諸国のレコードにのめり込むようになった経緯は?リカルド・マシップ:90年代初期、DJの友人たちとロンドンまで遊びに行くようになったんだけど、そのときにラテンやブラジル音楽のクラシックをたっぷり耳にするようになった。当時のロンドンのレコード・ショップや
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